(・ω・`)ウラヤマシス…

PC Watchの記事で「杉並区の小学校でアラン・ケイ ワークショップ開催」ってのがあって見てみた。

(;´∀`)…うわぁ…(・ω・`)ウラヤマシス…

ETVでやってる、「ようこそ先輩」(…まぁこの前出身母校間違えて色々あったけどな(苦笑))も結構好きで見てるんだが世間的には「大人」と呼ばれるようになった自分が何か子供に教えてやれることがあるってなスパスィーボな事だと思うワケさ。まぁ若い頃ずっとやってた拳法なら幼年部のガキどもに教えてやるくらいは出来たけど、やっぱり自分がガキの自分に影響受けたように、何かの道標になれたらそりゃ浪漫の嵐でしょ。

例えば俺がこんなダメヲタ人生を歩んでいるきっかけは、家の環境もさることながら当時(1982年)のNHK教育テレビで放送していた『NHK趣味講座 マイコン入門』。ホントにこの番組が無かったら、PG(プログラマ)的な方向へは行かなかったと思う。ワンボードマイコン(LKit-8,TK-80)って環境が自宅にあったが故にプログラミングという作業自体には抵抗がなかったが、BASICという環境がいかに思想を具現化しやすいかという事を思い知らされたのがこの番組だったんだよな…。

この番組に講師として出演されていた、森口繁一先生(故人)や吉澤正先生(現在は環境マネジメント関係で著名)、後続番組で講師をされていた武者利光先生(脳機能やゆらぎ研究の第一人者)から受けた影響は計り知れず。当時小学生だった俺には武者先生の「1/fゆらぎ」は難解だったが(そりゃそうだ)、大学生として応用数学科に入学して高等数学を学んで初めて「これがあの時の"ゆらぎ"だったんだ」と感動した事も記憶に新しかったりな…。2年前のベーマガ廃刊の時もそうだったけど、今の自分を形作るパーツの元ってのはやっぱ感慨深いものがある。

ああ、NHK趣味講座のことしか触れてなかったけど、TXの「パソコンサンデー」も同時期に放送しててすげえ影響されてる。どちらかというと、エンタメ指向なプログラミングを放送していたし、副音声でのデータ放送なんかもあってかなり当時の時代の先端をいっていた番組だった。司会はあの小倉智昭(初期はエラーマン小倉と番組中で呼ばれていたw)で、そこで講師役だったDr.パソコンこと宮永好道先生(故人)の影響もメチャメチャ受けてる。当時BASICでのポピュラーなプログラミング手法について解説していて、実際に投稿プログラマだった当時小学生だった俺にしてみればホントに毎週毎週放送してくれる良い番組だった。宮永先生は99年の初めに御永眠されたんだが、ホント当時そのニュースを知ったときには呆然としたのを今でも覚えてる。DOS/Vマガジンに当時連載されていたレトロPCの連載が途中でいきなり休載になって、そして訃報が掲載されたんだよな…。ホント驚愕だった。

※ちょっとでも昔の8ビットPCの頃を覚えているヤシは、是非とも宮永先生の(恐らく最後の)著書、誰も書けなかったパソコンの裏事情は読んでみて欲しいかな。これ、当時の8〜16ビット時代のことがホントによく書かれてるんで。

でさ、今俺が居るのはPC業界ってワケじゃないけど、コンピュータ関係の仕事にいま就いてる30代40代って、同じように影響受けてるヤシは少なくないと思うんだよ。PC使っての「ものづくり」ってのを体感できた世代。今のPCってな専門学校でも行かない限り、フツーは「アプリを使うための機械」で、クリエイティブな使い道といっても、PhotoshopやらMAXなりLogicなり、絵でも音でも作るための専用のアプリを使うってだけで、そのアプリを作る為の道はあまり広くないし広められてもないのが現状だからな…。

まぁ結局何がいいたいかというと、すがやみつるの「こんにちはマイコン」も忘れちゃいけないってことです(えー


アラン・ケイはどこいった??